そんな美しい桜並木を通っていくと、「知覧特攻平和会館」が見えてきました。
ただし、進発飛行場を有する知覧は、本土ながらも戦地であるため航空軍でも女性関係で士気が低下することや防諜など、憲兵として軍務上注意を払っていたことも考慮しなければならない。
「知覧特攻遺品館」には、第213として知覧飛行場から特攻出撃するも機体の故障で不時着し九死に一生を得た、元特攻隊員で職員のが集めた特攻隊員の遺影や遺品や遺書が展示されることとなり、のちに板津は名古屋市役所を早期退職して知覧の「特攻遺品館」の事務局長に就任し、施設の維持管理とともに、まだ収集できていない陸軍航空隊特攻隊員の遺影や遺品などの収集を行った。
出撃が決まった隊員の宿舎だったところ。
どの方も、覚悟はされていたと思います。
アメリカ軍の公式記録上、沖縄戦でのアメリカ海軍の損害は、艦船沈没36隻、損傷368隻、艦上での戦死者は4,907名、負傷者4,824名と大きなものとなったが 、その大部分は特攻による損害で 、アメリカ海軍史上単一の作戦で受けた損害としては最悪のものとなっている。