不安はあったけど、周囲に和まされた」と若隆景。
弟たちの意見を取り入れ、戦のことは弟たちの方が優れているからと反対などはあまりしなかったといいます。
河合正治「元就教訓状と毛利両川体制の形成」『日本歴史』333号、1976年。
なお、山口県文書館には、就勝の次男とされる毛利元忠から幕末の毛利元龍へと繋がる「水戸藩毛利元龍家系」という家系図が所蔵されているが就勝の次男である筈の元忠の生年が就勝が還俗していない永正17年となっていること、後々の記載になるにつれてつじつまが合わなくなってくる事から当該史料の史実性は限りなく低いと思われる。
永禄10年()、元就は輝元が15歳の時、二頭体制をやめ、隠居しようとした。