久保は生田の歌唱力、齋藤の表現力を引き継ぐ逸材となりつつあり、遠くない将来に表題曲のセンターを務めることも予想されます。
アイドルの、センターポジションで踊る久保史緒里の、青春の喪失を歌った傑作『ひと夏の長さより…』に対する憧憬がボーカル表現の端々に込められているようで、楽曲全体に抱く自己模倣感、そのイメージを確かなものにしている。
歌声に並みなみならぬものをそなえたアイドル、というイメージを打ち出してきた久保史緒里の、そのアイドルとしての魅力が消却されており、久保は、オリジナルではない楽曲を演じる際にはその存在感をいかんなく発揮するが、オリジナルを作るとき、つまりいかなる道標もない、言葉の真の意味における「表現」を求められるとき、平均的な作品、乃木坂としての標準的な作品しか生めないのか、という懸念を投げているようにおもう。
今回は、そのTYPE-Aに収録される楽曲「価値あるもの」について取り上げます。
「MVでは宇宙のどこかの星の上で何か紙を拾い上げてそれを大切そうに抱きしめる、というシーンがあります。
演技を作業的にこなしてしまう、仕事として消化してしまうというのは、演技ができる人間、演技ができてしまう人間つまりは才能を持った俳優特有の倦怠なのだが、ゆえに遠藤さくらというアイドルの魅力をとらえる際に空転のそしりを免れない。