「やえがき」が繰り返されて、幾重にも幾重にもという終りのなさが「八重垣を」という余韻を持つ結句にも示されているようです。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」(藤原道長) 時は西暦一千年、「源氏物語」、「枕草子」など女流文化華やかなりし頃、左大臣藤原道長はその長女彰子を一条天皇のもとへを女御として入内させます。
抜けるような青空に、幾重にも重なる白雲を前にして、丘の上に立った新婚夫婦の希望に満ちた表情がありありと浮かびます。
そして、何よりも、これら「妻籠みに」という目的や、「その」という指示語、「作る」という動詞が、 主語を省いた物言いによって、主観的に機能することで、そこにいる一人の人物を想定させる。
スサノオとクシナダヒメは、仲睦まじく暮らしたそうです。